ポーランドの暮らしと生活情報

Archive for the ‘アウシュビッツ収容所’ Category

ホロコースト「絶滅収容所」の記憶 : ワルシャワ・ゲットー4月 23日, 2009年

これ、どこの文献から拾ったのか忘れたのですが、アーカイブに残っていたので、アップしておきます。
出典が分からなくて、申し訳ないです

41年、ゲットー内の出来事を「日記」に残したリンゲルブルムは
「死が街のいたるところに [...]

映画『シンドラーのリスト』とアウシュビッツ収容所8月 4日, 2007年

久しぶりに映画『シンドラーのリスト』を見た。
こちらのTVP1というチャンネルで放送していたのだが、何度見ても言葉を失う映画だと思う。
ちなみにアメリカでは『シンドラーのリスト』だけが唯一、CMなしのノーカットでTV放送 [...]

アウシュビッツ収容所 -ガス室-7月 4日, 2002年

ガス室内部を撮影しようと思いましたが、あまりの酷さにシャッターを切ることが出来ませんでした。
もう何十年も前の出来事とはいえ、今でも凍りつくような空気が残っています。

ガス室模型
ガス室の模型です。
収容 [...]

アウシュビッツ収容所 -ホロコーストの爪痕-7月 2日, 2002年

絞首刑台
ここで何人もの囚人が見せしめの為に吊された。
抵抗した者、体が弱って働けなくなった者、グループから脱走者を出した者など、
彼らは何日でも晒し者にされ、埋められたり、焼かれたりしたという。
ソ連軍による解放後 [...]

アウシュビッツ収容所 -慰霊碑-7月 1日, 2002年

選別の広場
各地で捕えられた囚人達は、列車で収容所に送られました。
狭い車内にぎゅうぎゅう詰めにされ、遠方から何日もかけて運ばれたのです。
収容所に到着した囚人達は、すぐさま、労働適応、不適応に選別されました。
そし [...]

アウシュビッツ収容所 -犠牲者の持ち物-6月 30日, 2002年

犠牲者たちのカバン収容所に送られた囚人達は、「東欧に移住させられるだけ」と信じていました。
信じていたからこそ、鞄に住所を書き、家族にとって大切な最低限度の荷物(衣類や歯ブラシ、写真など)を詰めて、ナチス・ドイツの命 [...]

アウシュビッツ収容所 -囚人棟-6月 30日, 2002年

囚人棟ビルケナウ強制収容所の内部です。
囚人たちは、こんな所に押し込められるようにして収容されていたのです。
ポーランドの冬の気温は、時にマイナス20度近くにもなります。
毛布もな [...]

アウシュビッツ収容所 -犠牲者たちの髪-6月 30日, 2002年

犠牲者たちの髪
収容所で切り取られた女性達の髪です。
ナチス・ドイツは、これらの髪を使って、カーテンや敷物、衣類などを製造していました。
女性もまた男性と同じように強制労働に駆り出されていましたが、働けない年寄りや子 [...]

アウシュビッツ収容所ゲート6月 30日, 2002年

アウシュビッツ収容所ゲート
世界歴史遺産にも認定されたアウシュビッツ収容所博物館。    
今なお世界中からたくさんの見学者が訪れ、その凄惨な史実に打ちのめされています。
ポーランド名は、『Oswiecim オシフ [...]

アウシュビッツ絶滅収容所 – 朝日ムックシリーズ『ホロコースト』 毎日新聞社 -6月 24日, 2002年

★ 『ホロコースト―絶滅収容所の記憶 (毎日ムック シリーズ20世紀の記憶)』より抜粋 ★
アウシュビッツ(ポーランド名はオシフィエンチム)は、ワルシャワの南西257㎞に位置する人口1万2000人の小さな町だった。    [...]